プラセンタの研究は、紀元前からはじまっていたともいえます。
医学の父とよばれる偉大なヒポクラテスは、紀元前400年ごろの古代ギリシャにおいて、プラセンタが人間の自然治癒力を向上させるものだとしています。
プラセンタを科学的に解明したのは、ロシアの眼科医であるフィラトフ博士で、現在はロシア科学技術アカデミーとよばれているソ連邦科学技術アカデミーで研究をしました。
フィラトフ博士が行ったのは組織療法というもので、こおらせた胎盤を利用しました。細胞組織による殺菌消毒問題を世界ではじめてクリアして、天然の組成をこわすことなくプラセンタの有効成分をとりだすことに成功したのです。この方法は、乳化抽出法とよばれています。
1930年のソ連では、皮膚のしたにプラセンタの組織片をうめて、戦争中の負傷兵の治療をする研究もありました。この成果によって、プラセンタは医療分野をはじめとするいろいろな分野で利用することができるようになったのです。
日本では、1950年に満州医科大学の稗田博士が、戦争中の負傷兵を早く治すために、スプランスキー博士の治療をもとにしてプラセンタによる組織治療をてがけました。
稗田博士は日本へ帰国してから、久留米医科大学でプラセンタの研究を続けたといいます。1959年には、胎盤漿というプラセンタの薬を開発して、肝硬変の治療薬であるラエンネックとして医科向医品の登録をしました。
1960年代にかけて、プラセンタの組織療法は全国にひろがったそうです。
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